使徒言行録4章 23~31節
7月に入ってからの子ども礼拝では、ピリポによるエチオピアの宦官の受洗、ペトロによる異邦人コルネリウスへの伝道、サウロ(パウロ)とバルナバの伝道旅行など、「伝道」が繰り返し語られてきました。これは教会の使命が、福音をのべ伝え、新たな人々を教会に迎えることであることを示しています。私たちは泉教会で「使徒言行録」を読み進めていますが、その中で強調されるのは、伝道が聖霊による教会全体で担うべき働きであるという点です。
ペトロとヨハネが神殿で足の不自由な男を癒し、その奇跡を通じてイエスこそが救い主であると伝道した時、多くの人々が信じました。しかし、その伝道はユダヤの指導者たちからの迫害に直面します。それでも二人は「復活されたイエスの名による癒しである」と堂々と証ししました。これは、困難があっても福音を語る使命の重要性を示すと同時に、日本のような八百万の神々がいる伝道が難しい文化に生きる私たちにも重なる現実です。
初代教会は、ペトロとヨハネのような使徒だけでなく、教会全体で困難に向き合いました。彼らが逮捕された際、教会の仲間たちは祈りによって支え合い、ペトロとヨハネも自らの経験を教会に報告しました。伝道は個人の業ではなく、祈りを通じて教会全体が担うものだという姿勢がここに表れています。
私たちの家族や身近な人への伝道も同様です。多くの信仰の仲間たちの祈りによって実現します。祈りによって伝道の業を共有することができます。ペトロとヨハネが仲間のもとへ戻って報告し、教会が心を一つにして神に祈った場面(4章24節以降)は、教会が信仰を共に告白する重要さを示します。彼らの祈りは天地創造の神を賛美し、旧約聖書の詩編を引用しつつ、現実の迫害も神のご計画の中にあると告白するものでした。そして彼らは「堂々と御言葉を語れるように」と祈り求めました。私たちも2000年前の初代教会と同じように祈り、信仰を告白し続けることができます。
聖餐式においても、主イエスとの交わりを新たにし、信仰告白の言葉でもって心を一つにして語るのです。伝道は牧師だけの役割ではなく、私たち一人一人が神様に召され、用いられる働きです。「私は何もできません」と思う時も、神様は私たちを必要としておられます。その召しに応え、僕として従うことが求められているのです。
最後に、祈りが終わると教会が聖霊に満たされ、堂々と御言葉を語り出した(4章31節)ように、困難な状況の中でも聖霊が私たちを支え、祈りを通じて具体的な言葉と力を与えてくださることを信じ、歩んでいきましょう。自分を主人公とする生き方では体験できない恵みが、主イエスの僕となった者に与えられるのです。
