「コルネリウスの回心」(2026年1月)

使徒言行録10章1~33節

本日はコルネリウス(ラテン語読み)の物語の前半、33節までを通して、異邦人信者となるコルネリウスとペトロの信仰を学びます。コルネリウスはカイサリアに駐留するイタリア隊の百人隊長であり、ユダヤ人たちが信じる唯一の神を畏れ敬う敬虔な人でした。彼は一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた人物で、その信仰は人々に広く知られていました。しかし、待ち望んでいた救い主がイエスであるとは知りませんでした。

物語の舞台はヤッファからカイサリアへ移り、ペトロは異邦人の町に入ることへの大きなためらいを抱えていたと思われます。当時、使徒や弟子たちは主イエス・キリストをユダヤ人にとっての救い主と理解し、伝道の対象も基本的にはユダヤ人に限られていたからです。しかし、使徒言行録1章8節に示されているように、主イエスの福音はエルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで宣べ伝えられるべきものであることが示されていました。

これまでにも、フィリピによるサマリア人への伝道やエチオピア人の宦官の洗礼など、新しい事態はすでに起こっていましたが、使徒たちのなかにはなお異邦人が加わることへの躊躇がありました。そのような中で、今回のペトロによるコルネリウスへの伝道は、神様が与えてくださった幻と聖霊によって実現しました。特にペトロは幻の中で、汚れたものを食べることを三度拒み、自分の清さや安心できる姿に留まろうとしていました。しかし、「神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない」との神の言葉によって変えられていったのです。ペトロは自分の満足や誇りを捨て、主イエスのみ業に服従する者とされ、その服従を通して福音は異邦人へと伝えられていきました。伝道とは人間の業ではなく、神様がしてくださるみ業であり、人はそれを受け入れ、従うだけであることが示されています。 主が進めてくださる伝道のみ業に、私たちもしっかりついていきたいと願います。「私が」頑張って「私」の正しいやり方で伝道せねばと力まなくて良いのです。むしろ、主が全てをご計画のうちに整え、神を求める人を用意しておられます。私たちの役目はただ神様の導きに従って遣わされて行き、神様が語られたことを伝えていくだけなのです。そこに主が伝道の業を実現し、救いを見させてくださいます。神の前に出ていきましょう。2026年1月