使徒言行録9章23~31節
先週登場したアナニアは、聖書のサウロの回心の場面にのみ登場する人物ですが、迫害者サウロを祈りつつ受け入れ、目からうろこのようなものが落ちた彼を仲間として迎え入れるという重要な役割を果たしました。アナニアは主に従順に従いました。今回の箇所でも、サウロが目が見えるようになった後、彼を支援した人々が描かれています。教会の信徒たちは彼を赦し、今度はユダヤ人から「裏切り者」として殺されそうになる彼を守りました。命を狙われたサウロは、弟子たちにより籠で城壁からつり降ろされて脱出しました。既にサウロには弟子たちが生まれていたことがわかります。そしてこの逃れは神の守りにほかならないことでした。しかしエルサレムでは、主イエスの弟子たちは迫害者サウロを恐れて彼を受け入れませんでした。そこで登場するのが「慰めの子」と呼ばれたバルナバです。バルナバはサウロの回心と宣教について使徒たちに説明し、和解をもたらしました。こうしてサウロは公に弟子たちの仲間として認められ、「主の名によって堂々と宣教」する者となったのです。これは個人的体験である回心が、目に見える教会という共同体によって確認され、公に位置づけられたことを示しています。
キリスト者が教会員となる過程も同様です。個人的な主イエスとの出会いと教会という共同体の承認が一つとなることで、弟子の群れに加えられるのです。それは主イエスから宣教命令を受け、遣わされていく群れです。31節には、教会が「平和のうちに築き上げられ」「主を畏れて歩み」「聖霊に励まされ」て成長したことが記されています。主イエスへの信仰によってユダヤ、ガリラヤ、サマリアという対立していた地域に建てられた教会が一つの群れとされました。サウロやアナニア、使徒たちは自分の思いではなく主の御心を優先したのです。そして「主を畏れる」歩みへと変えられていきました。また、聖霊の慰め、十字架による罪の赦しの恵みが教会を支え、迫害者サウロもその慰めによって新しい歩みへと導かれていくのです。こうして「平和」「主を畏れる」「聖霊の慰め」という三つの要素が、教会の建設と成長に不可欠であることがここで示されています。私たちの歩みも自分の知恵や熱心さにたよるのではなく、主を畏れる者となり、平和と聖霊の慰めをいただいて成長する教会となっていけるよう、祈り求めていきましょう。
2025年11月
